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歴史

磯浜海防陣屋跡(いそはまかいぼうじんやあと)

磯浜海防陣屋跡の空撮

施設の概要

海防陣屋とは、海防目的の施設のことで外敵にそなえて文政8年(1825年)日下ヶ塚権現台に遠見番所が設けられましたが、天保7〜13年(1836〜1842年)水戸藩主 徳川斉昭(烈公)がこれを強化し海防陣屋としました。
元治甲子の戦(1864年)には激戦地となり、現在遺跡は日下ヶ塚古墳の前方部付近に良好な状態で残っています。

磯浜海防陣屋の歴史

海防陣屋とは、今を遡ること、約160年前の江戸時代天保年間に造られた海防目的の施設です。
海防とは、当時緊張関係にあった、イギリスやアメリカなどの異国の船が沿岸に接近したり、異人が上陸したりするのを、防ごうとする考え方の事です。
水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)により、藩の南端の沿岸を防御するために、磯浜海防陣屋は造られます。
海防陣屋の跡には、高台の縁に沿って、上から見た形が「L」のような形をした約1.5~2.0mの高さを持つ土壇状の遺構が残されています。土壇状の遺構の規模は、幅が約36m、奥行が約24mです。近接する日下ヶ塚古墳の墳丘を含めて、海防陣屋として利用していたものと考えられています。
海防陣屋からは、軒桟瓦・桟瓦・軒丸瓦・丸瓦・平瓦などの瓦が発見されていて、当時建てられていた建物に葺かれていたものと見られます。
海防陣屋の建物は、元治元(1864)年の元治甲子の変(天狗党の乱)により焼失してしまいます。

磯浜海防陣屋の位置

磯浜海防陣屋の位置

海防陣屋の位置

海防陣屋の史跡整備事業

大洗町の歴史と自然を楽しむ会による除草作業大洗の歴史と自然を楽しむ会による除草作業
町では、海防陣屋の重要性を認識し、平成14年の発見以来、シノタケの除草作業を進めています。また、夏季に伸びる雑草は、刈払いを行います。更に最近では歴史サークルによる除草作業も開始されていますので、協力して作業を進めています。
さらに今後は、まだよく分かっていない、その範囲や構造を明らかにするための測量調査や考古学的な調査も進めていく予定です。

史跡の歩き方

史跡の歩き方