常陸大洗の歴史や大洗町誕生の歴史
常陸国の誕生について
茨城県は1871年(明治4年)に実施された廃藩置県により、 大部分を占める常陸国(ひたちくに)と、現在の千葉県・東京都・埼玉県、 そして茨城県の南西部をまたがる下総国(しもうさのくに)の北部で構成されております。
それから遡ること約一千年前。―
飛鳥時代後期の645年(大化元年)に行われた「大化の改新」から始まる「律令制」の執行に伴い、 地方の豪族達が支配していた私有地を廃止、公地公民制を実施し、 高・久自・仲・新治・筑波・茨城の6国を統一して常陸国が誕生したと言われております。
大串貝塚ふれあい公園
大洗磯前神社の創建
常陸国にはその後11の郡が誕生し、現在は東茨城郡に入る大洗は、 当初「香島郡(鹿島郡)」に属していたようです。
これは、大洗磯前神社の創建について『文徳実録』に 「常陸国上言。鹿嶋郡大洗磯前有神新降。」と明記されております。
何故「大洗」と呼ばれているかは、さまざまな憶測が考えられておりますが、 定かでは無いようです。
856年(斉衡3年)、ここ大洗磯前に2神が現れ、 大己貴命(おおなむちのみこと)が大洗に、 少彦名命(すくなひこなのみこと)がひたちなか市にある 「酒列磯前神社」に祀られております。
大洗磯前神社
願入寺の創建
1214年(健保2年)に浄土真宗の宗祖「親鸞」が布教活動の為に常陸国へ移り住み、 その後を追い、親鸞の子「善鸞」と孫の「如信」も陸奥国の大網(現在の福島県石川郡古殿町)に 「草庵」を構え普及活動を行います。
この草庵が後の願入寺となり、移転を繰り返しながら江戸時代の延宝(1673~1681年)以降に 常陸国水戸藩第2代藩主の「徳川光圀」により、大洗の祝町に移されます。
本堂や開基堂には、本尊の阿弥陀如来立像の他、親鸞聖人の画像や香合などの県指定文化財が保管されています。
境内や周辺には徳川光圀お手植と言われる銀杏や、磯節普及に努めた竹楽坊の像、 江戸時代の敵討で打たれた成瀧万助を祀ったお堂などがあります。
- 2018年5月1日
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