1. ホーム
  2. 歴史
  3. 大洗の歴史タイムスリップ
  4. 常陸大洗の歴史や大洗町誕生の歴史

歴史

常陸大洗の歴史や大洗町誕生の歴史

常陸国の誕生について

大串貝塚ふれあい公園茨城県は1871年(明治4年)に実施された廃藩置県により、 大部分を占める常陸国(ひたちくに)と、現在の千葉県・東京都・埼玉県、 そして茨城県の南西部をまたがる下総国(しもうさのくに)の北部で構成されております。
それから遡ること約一千年前。―
飛鳥時代後期の645年(大化元年)に行われた「大化の改新」から始まる「律令制」の執行に伴い、 地方の豪族達が支配していた私有地を廃止、公地公民制を実施し、 高・久自・仲・新治・筑波・茨城の6国を統一して常陸国が誕生したと言われております。

大串貝塚ふれあい公園

大洗磯前神社の創建

大洗磯前神社常陸国にはその後11の郡が誕生し、現在は東茨城郡に入る大洗は、 当初「香島郡(鹿島郡)」に属していたようです。
これは、大洗磯前神社の創建について『文徳実録』に 「常陸国上言。鹿嶋郡大洗磯前有神新降。」と明記されております。
何故「大洗」と呼ばれているかは、さまざまな憶測が考えられておりますが、 定かでは無いようです。
856年(斉衡3年)、ここ大洗磯前に2神が現れ、 大己貴命(おおなむちのみこと)が大洗に、 少彦名命(すくなひこなのみこと)がひたちなか市にある 「酒列磯前神社」に祀られております。

大洗磯前神社

願入寺の創建

願入寺1214年(健保2年)に浄土真宗の宗祖「親鸞」が布教活動の為に常陸国へ移り住み、 その後を追い、親鸞の子「善鸞」と孫の「如信」も陸奥国の大網(現在の福島県石川郡古殿町)に 「草庵」を構え普及活動を行います。
この草庵が後の願入寺となり、移転を繰り返しながら江戸時代の延宝(1673~1681年)以降に 常陸国水戸藩第2代藩主の「徳川光圀」により、大洗の祝町に移されます。
本堂や開基堂には、本尊の阿弥陀如来立像の他、親鸞聖人の画像や香合などの県指定文化財が保管されています。
境内や周辺には徳川光圀お手植と言われる銀杏や、磯節普及に努めた竹楽坊の像、 江戸時代の敵討で打たれた成瀧万助を祀ったお堂などがあります。

スマートフォン用ページで見る